横浜F・マリノスを好きになったきっかけ
気づいた時にはもう、トリコロールが好き
横浜F・マリノスサポーターならば誰しもが知っているであろう、この言葉。
マリノスのチャント(応援歌)に使われているワードだ。
この言葉はマリノスサポーターになった理由を表現するのに、ぴったりだと思う。
私もマリサポになった理由はまさしくこの言葉通り、気づいた時にはもう好きになっていたのだ。
よくマリサポになったきっかけは?
好きな選手は?
マリノスのどんなところが好きなの?
と聞かれることがあるが、この手の質問には正直答えづらい。
私はマリノスの一部が好きなのではなく、「横浜F・マリノス」というクラブそのものが生活の一部になっているのだ。クラブのエンブレムが誇りであり、その街の「横浜」が誇りなのである。
それゆえに、選手をからサインをもらいたいとか、好きな選手のグッズを身に着けたいとは思わない。
むしろ、マリノスのために人生をかけて戦ってくれる選手を応援したい。
今のマリノスは選手一人一人が「横浜F・マリノス」というチームを愛して戦ってくれてるように見える。
それが選手・スタッフ・サポーター「ファミリー」に成り得ている所以なのではないか。
この一体感が今のマリノスの真骨頂である。
と、今のマリノスについて語ったたが、そろそろ本題に入ろうと思う。
この日記は、あまりJリーグを見たことがない人や海外サッカーは好きだけど、Jリーグはレベルが低くて見る気がしない、といった人々に届いてくれると嬉しい。
というのも、私も初めは(今でもそうだが)熱狂的なミラニスタでACミランの試合をイタリア・ミラノのサン・シーロに見に行ったこともある。
2006年-2007年のCL(チャンピオンズリーグ)優勝をきっかけにACミランの試合を見るようになって、早14年。あっという間に月日は流れ、今や私より年下の選手ばかりのチームになってしまったが、それでもACミランというチームを愛している。
きっと、私と同じように海外のサッカー・クラブを愛してやまない人は、たくさんいるのではないだろうか。
私もマリノスを好きになるまでは、Jリーグの試合なんて見たこともなければ、ニュースすら追っていなかった。
当時主流だった、スカパーも「Jリーグパック」には契約せず、「欧州パック?」のみ契約するほど、Jリーグには興味がなかった。
その理由は簡単。
日本のサッカーはレベルが低く、スタジアムの熱狂も海外に比べると、比でもないほど閑散としていると思っていたからだ。
もちろん日本代表に選ばれている選手くらいは知っていたが、その他の選手は知らないし、興味がなかった。
毎週末にスタジアムに行くのではなく(という話は海外サッカーだけだと思っていた。)、深夜の3時45分にテレビの前でミランの試合や欧州サッカーを見るのが日課になっていた私にとって、Jリーグは同じサッカーでも世界が違うものだと思っていた。
なぜ、このような話を始めたかというと、私と同じように今でも海外サッカーが大好きでJリーグなんて興味のない人が少しでもJリーグに興味を持ってもらいとい傲慢な思いがあるからだ。
そもそも、その人の趣味をどうこう言うつもりなんて毛頭ない。
海外サッカーが好きでJリーグなんて興味がないならそれでも構わない。
しかし、「Jリーグ」という日本のサッカー界を全く知らずにJリーグを批判し、見くびるのだけは同じサッカーファンとして、黙っていられなかった。(SNS上でそのような言葉を発している人がいたので・・・。)
ただそれだけの理由。
2012年、私は高校を卒業して神奈川の大学へ進学した。その前の年、私はオープンキャンパスで、中学校の修学旅行以来となる関東進出を果たした。
田舎者の話はここではするつもりはないので割愛するが、実はこれがマリノスとの初めての出会い。
母親と一緒にオープンキャンパスに来ていた私は、オープンキャンパス終わりに横浜の中華街へ行った。よくある観光話だ。
その帰り道に中華街→山下公園→横浜駅と電車を使わずに歩いて観光したのだが・・・。
察しの良い方はお気づきになっただろう。
そう、そのルートには旧マリノスタウンがあったのだ。恥ずかしい話、秋田という田舎でサッカーをしていて、ACミラン一筋だった私はその時「横浜F・マリノス」というチームを知らなった。中村俊輔は好きだったが、それでマリノスを知るという程でもなかったくらいに日本サッカーに興味がなかった。
そんな私がフラッと「この練習場見学したい」と思い、母へ訪ねた。
そして、マリノスタウンに入り、カフェで選手の練習を眺めた。
この話はここで終わり、これがきっかけでマリノスが好きになったのではない。
正直これくらいの記憶しか残っていない程、興味がなかったんだと思う。
なぜ練習を見たいと思ったのかは知らないが、きっと、当時の秋田にはこんなに近くでプロを見ることがないから、ただの興味本位だったのかもしれない・・・。
それから月日が経ち、私は無事上京を果たした。
Jリーグとの出会いはJリーグのビジネスにやられたという夢も希望もない話である・・・。
私が20歳の頃、Jリーグは20歳を対象とした「Jマジ20!」というイベントを企画した。20歳の人は無料でJリーグの試合を観戦できるというものだ。
実は私、Jリーグと同い年で、Jリーグが20周年記念事業として企画したイベントが見事に私の代だったというわけだ。
何とも不思議な縁で、私は初めてのJリーグを観戦することになる。
実は初めての試合のカードは覚えていない。その頃もあまり興味がなかったのだろう・・・。
ただ、それがきっかけで私にとってJリーグは「全く違うサッカーの世界」ではなく、身近なものに感じたことは確かである。
それを機にたくさんのスタジアムに足を運び、徐々に「Jリーグがある週末」という意味を理解することが出来るようになってきた。
Jリーグは海外の5大リーグと比べると確かにレベルが低い。
しかし、目の前で繰り広げられる試合を生で見ていると、レベルが低いなどとは考える暇もなく、ただがむしゃらに熱狂の渦に包まれていくのだ。
この感動は、コンサートと似ているのかもしれない。
そう、「Jリーグがある週末とはこのことを言うのだ」と実感したときには、Jリーグの魅力に取りつかれていた。
そして、気づいた時にはマリノスが好きになっていた。
そこに綺麗なエピソードや思い出話なんて存在しない。
この感動はスタジアムに行った人しか味わえない。
勝ち負けなんかではない、ただ選手一人ひとりのワンプレー・ワンプレーに声援やブーイングが飛び交う。これがフットボールなのだ。
それをテレビで味わうのとスタジアムで味わうのとは訳が違う。
と、こんなことは海外サッカーが好きな人は何度も実感しているだろう。
日本人は不幸にも、5大リーグのサッカー大国の中で生まれ育ってきたわけではない。サッカー文化や環境がそもそも違うのだ。
それを海外と日本のサッカーを比べるのは甚だ不思議である。
日本には日本の文化がある。
私が好きなイタリアはセリエDの街クラブでもそのクラブに人生をかけて応援する人々がいる。(私の知り合いがそうである。)
このレベルまでなると遥かにJリーグのほうがレベルが高いのは言うまでもない。
それでも、人々はそのクラブに人生をかける。
なんとも素敵な話ではないか。
なぜ、日本人は自分の国や街を愛せない。
詰まるところ、最後はここに行きつく。
なぜ日本人は国歌斉唱を叫ばずに、口ずさむ。あれがどれほど恥ずかしいことか。
Jリーグサポーターたちは自分たちの街を愛し、クラブを愛している。
そんな姿にひかれて私はマリノスが好きになった。
私は横浜F・マリノスが好きだ。
横浜が好きだ。
海外サッカーファンの皆さんにも是非ともJリーグの魅力を感じてほしい。
スタジアムに足を運んでほしい。
そして、サッカーやJリーグを見たことがない人は、是非とも友達や知り合いに連れて行ってもらってほしい。
好きなる・ならない関係なく、今自分が住んでいる街がどんな姿なのかを知る良い機会になる。
Jリーグはいわば、街同士の戦いである。それを肌で感じることで、何かのきっかけの一つになってくれると嬉しい。
最後に、
私は 横浜F・マリノスを愛し、横浜を愛している
横浜F・マリノス ボスありがとう
今日のキックオフFマリノスを見た感想
この3年間を振り返ってみたいと思う。
3年半に渡ってマリノスを率いてくれたアンジェ・ポステコグルー監督。本当にありがとう。マリノスのサッカーを変えてくれたのはもちろん、私たちサポーターのサッカーへの考え方も変えてくれた。
チームだけでなく、マリノスというクラブそのものを変えてくれたボス。
本当にありがとう。
就任1年目の2018年シーズン
私はこの年からボスのサッカーが見たくて年チケホルダーになった。ボスのサッカーはマリノスだけでなく、Jリーグのサッカーについての価値感すら変えた「アタッキングフットボール」。
海外サッカーも大好きで日頃から見ているが、ここまで攻撃に舵を切ったスタイルは初めて見た。それもスタジアムで目の前で繰り広げられるサッカーには心底感動した。
残念ながら1年目にはそのサッカーが開花することはなかったが、(というより選手たちがこのサッカーをするのにとても苦戦しているように見れた。)紛れもなくマリノスが生まれ変わったシーズンとなった。
就任2年目の2019シーズン
このシーズンは序盤、昨シーズンのミスを引きずりながら、勝ったり負けたりを繰り返し、なかなか波に乗れない時期が続いた。前半を終了した頃には、まさか、最終節の日産スタジアムがあのような盛り上がりを見せるなんて誰も想像していなかっただろう。
後半戦は勢いを付け、選手・スタッフ・サポーターが「ファミリー」となって、戦い抜いた。
私自身、毎試合スタジアムへ通ったが、正直最後の最後まで実感がなかった。ただただ目の前の試合を死に物狂いで応援するだけ。
これに尽きていた。
初めて実感したのは、アウェイ等々力のフロンターレ戦。あの試合でフロンターレに勝ったことで、初めて「優勝」という2文字に実感が湧いてきたことを覚えている。
そして最終節のFC東京戦は生まれて初めての満員の日産スタジアム。後にも先のもあの感動を超える試合はないだろう。
(私が大好きなACミランのスクデットの瞬間をサンシーロで見ることができたら、違うのかもしれないが・・・)
あの感動は文章では表しきれない。
あの瞬間ほど、フットボールを愛してきたことに幸せを感じたことはない。
私は2013年の上京してきた頃からマリノスを応援しているが、6年目で応援しているチームのリーグ優勝に立ち会えたことは、誇らしく思う。
就任3年目の2020シーズン
このシーズンはコロナの影響があり、全てが新しいリーグ戦となった。サポーターがいないスタジアム。声援がないスタジアム。テレビに映る口元のマスク。ハイタッチができないスタジアム。海外サッカーに至っては、丸1年が無観客での開催になった国がほとんど。
そんな中、マリノスはリーグ戦・ACLなどの過密日程がシーズン最後まで続いた。タイトルは無冠に終わったが、チームの一体感を改め感じたシーズンとなった。この時期を一緒に乗り越えてきた「ファミリー」はこれからどんなに苦しいことがあってもきっと乗り越えられると信じている。
マリノスを好きになって本当に良かったと思えたシーズンとなった。
就任4年目の2021シーズン
シーズン途中での退任には正直ショックを覚えたが、ボスの新たな挑戦を心から応援したい。
この快挙はJリーグの監督にも可能性を感じる出来事になるはずだ。
最も、英語が話せない日本人が外国で、しかもビッグリーグで指揮を執ることは難しいかもしれないが、いつか日本人が海外チームで指揮を執って、CLを戦っている姿を見てみたいものだ。
ボスと過ごした2021シーズンの4か月は現在リーグ戦3位。消化試合がフロンターレと比べると大きく違うため、今の順位でリーグ戦の予想をするのは時期尚早だろう。これからの試合数をすべて勝ち切り、フロンターレに追いつき、追い越し、そんなリーグ戦を戦ってくれることを期待したい。
ボスが安心してスコットランドから見守ることができるチームになってほしい。
最後に
ボス
マリノスファミリーを作ってくれて
マリノスファミリーの一員になってくれて
マリノスファミリーを愛してくれて
本当にありがとう。
ボスのこれからの活躍を応援しています。
Thank you BOSS
初投稿
はじめまして。
この投稿が記念すべき第1回目になります。
私は秋田出身で、上京して10年になります。すっかり神奈川の土地にも慣れてしまい、「あぁ、これが都会に染まることなのかな」ってしみじみ感じる今日この頃です。と言っても神奈川の自然の中に住んでいる為、都会の煩わしい人込みにはいませんので、都会に染まっているほどでもないです。
と、初めから脱線してしまいました。
私は現在、不動産会社で住宅の販売の仕事をしている傍ら休日は横浜F・マリノスのサポーター(年間チケットホルダー)としてスタジアムを本拠地に生活しています。スタジアムに住みたいですね。
マリノスの試合に合わせて公休や有休を駆使しています。
私の年間スケジュールはマリノスの試合に左右されるので、毎年会社の中で一番早く、
計画的有給消化をして褒められています。ありがとうマリノス。(笑)
今年は鹿島・大阪・静岡・名古屋にアウェイ遠征に行こうと計画中です。
その他にもお金と休みに余裕があったら行きたいですね。
※コロナでサッカーを見に行けないのは考えられません。マリノスは不要不急ではありません。
社会人になって今年で6年目ですが、大学ではスポーツ社会学やスポーツビジネスを先行して研究してきました。
スポーツ文化やチームのマネジメントなど、私の持論ではありますが、思うことがあるので、少しずつ日記に書いていこうと思います。
特に今年のオリンピック色々な意味でかなり注目しています。
スポーツ以外の事としては、散歩・映画・物件探しなど好きですが、これと言って話すことがないので、気が向いたら日記に書いていこうかなと考えています。
割と自由気ままな性格で、興味のあることはトコトン調べ、興味のないことは適当に流します。
スポーツの話がメインになるかと思われますが、温かい目で見ていただけますと幸いでございます。
これからよろしくお願いします。